新1万円札ご祝儀問題の実態
テレビ朝日系の情報番組で、新1万円札の肖像画である渋沢栄一が「不貞を連想させる」ため、結婚式のご祝儀には不適切だという「マナー」が紹介された。さらに、ある調査では約3割の人がこれを「マナー違反」と感じているという驚くべき結果も示された。
この「マナー」の根拠とされているのは、渋沢栄一の女性関係に関するエピソードだ。確かに、渋沢栄一には愛人を妻と同居させたという逸話も残っている。しかし、それだけを取り上げて「不貞を連想させる」と断じるのは、あまりにも短絡的だと言わざるを得ない。
渋沢栄一の功績を無視した短絡的な判断
渋沢栄一は「近代日本経済の父」と呼ばれる偉人であり、その功績は計り知れない。彼は、男尊女卑が当たり前だった時代に、女子教育の必要性を説き、日本女子大学の創立にも携わった先見の明を持つ人物でもある。
深谷市の小島進市長は、この問題について次のように述べている。「非常に残念だなという思いがある。私も、栄一さんが女性を好きだというのは否定しません。これ、つらいんですよ。それが独り歩きするのがね」
さらに市長は、「渋沢さんは『人たらし』ですよ。女性に限らず、全身全霊で受け止めて、色んな相談事を形にしていた。この機会に、栄一さんがやってきたこととか、色々と調べて勉強してもらえればありがたい」と付け加えた。
このような功績を無視し、一部の逸話だけで判断するのは、歴史への冒涜と言えるだろう。
ブライダル業界からの反論
ブライダル業界からは、このような意味不明な「マナー」に縛られる必要はないという声が上がっている。結婚式は本来、新郎新婦の意思を尊重し、自分たちらしさを表現する場であるはずだ。それを、根拠のない「マナー」で制限するのは本末転倒と言える。
トキハナの広報担当、菅井さくらさんは次のように述べている。「今の結婚式はルールが曖昧なことが課題だなと思う。違和感を覚えるものは取捨選択をして、自分たちらしい結婚式にするために、主催者側も業界側も意識を変えることが必要だと思う」
他の意味不明な「マナー」の例
新1万円札問題に限らず、世間には様々な意味不明な「マナー」が存在する。以下にいくつか例を挙げる。
- 徳利は注ぎ口で注いではいけない
本来、徳利は注ぎ口を下にした方が注ぎやすいにもかかわらず、これを禁じる「マナー」が存在する。実際には、注ぎやすさを優先するべきであり、このような「マナー」に縛られる必要はない。 - 葬式では黒マスク、リモート会議では服とマスクの色を合わせる
マスクの色にまで及ぶ細かすぎる「マナー」も批判の対象となっている。特にリモート会議でのマスクの色合わせは、実用性よりも見た目を重視しすぎている点で問題がある。 - お辞儀ハンコ
上司への承認印を左斜めに傾けて押す「マナー」。一部の金融機関では今でも慣例として残っているという。しかし、このような形式主義は業務の効率性を損なう可能性がある。 - 出されたお茶を飲み干してはいけない
実際には「出されて相手が飲んでくださいと言ったら飲むのが正解」「一度口をつけたら逆に残すのは失礼」というのが正しいとされる。このように、状況に応じた柔軟な対応が求められる。
マナー講師の責任と課題
このような意味不明な「マナー」が広まる背景には、マナー講師の責任も指摘されている。マナーコンサルタントの西出ひろ子氏は、「マナーを教わる皆さんの中には、マナー講師の『言い方』や『伝え方』にカチンと来たり、傷ついてしまうという方もいらっしゃいます」と指摘している。
マナー講師は、単に規則を押し付けるのではなく、その背景にある理由や状況に応じた柔軟な対応の仕方を教えるべきだ。また、時代に合わなくなったマナーは見直す勇気も必要だろう。
批判的思考の重要性
このような意味不明な「マナー」が生まれる背景には、人々の過剰な同調圧力や、根拠のない情報を鵜呑みにしてしまう傾向がある。しかし、私たちは常に批判的思考を持ち、そのような「マナー」に惑わされないよう注意する必要がある。
特に、SNSやインターネット上で広まる情報には注意が必要だ。信頼できる情報源からの確認を怠らず、自分自身で考え、判断する力を養うことが重要である。
結論:真のマナーとは何か
これらの意味不明な「マナー」に振り回されることなく、本来のマナーの意味を考え直す必要がある。マナーの本質は「相手の立場に立つこと」であり、相手を思いやる心を持つことが最も重要だ。
不合理な「マナー」に縛られるのではなく、状況に応じて柔軟に対応し、互いを尊重し合う姿勢こそが、真のマナーと言えるのではないだろうか。新1万円札のご祝儀問題を含め、これらの意味不明な「マナー」に惑わされることなく、自分の判断で行動する勇気を持つことが大切だ。
結婚式のご祝儀に新1万円札を使うかどうかは、個人の自由であり、それを「マナー違反」と決めつけるのは滑稽としか言いようがない。むしろ、渋沢栄一の功績を称え、新しい時代の幕開けを祝福する意味で、新1万円札を使うのも素晼らしい選択だと言えるのではないだろうか。
私たちは、このような不合理な「マナー」に振り回されることなく、自分の判断で行動する勇気を持つべきだ。それこそが、渋沢栄一が目指した、自立した個人による社会の実現につながるのではないだろうか。そして、そのような社会こそが、真の意味でマナーが尊重される社会なのではないだろうか。
マナー講師ってあんなの言って飯食えるんだろ?いいなあ~